【アカビジ】マクロコミュニケーション通信

アカデミックとビジネスの両立を目指す、強くありたい人財を応援するマクロコミュニケーション通信

「アカビジ」な解釈【「知性」と「雑学」を分かつもの①】

こんにちわ。

 

ヒューマンキュレーターの松下です。

 

東京の桜はだいぶ散ってしまいましたね。

新しいサイクルが本格的にスタートしていることでしょう。

 

人材エージェントとして、

日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと、


また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで、


気付いたことをシェアできればと思い、
ブログ発信してます〜。

 

ここから本題↓↓

 

本日は、「アカビジ」で度々

使われる「知性」という基礎的な言葉について振り返りたい。

 

いつもと同じように

ここではあくまで辞書に載っているような厳密な定義は求めず

 

「アカデミックでありながらも、

ビジネスなどの実学にも応用しやすい」

 

という汎用性の高さを重んじて

実践で使いやすい「知性」の定義を捉え直したいと思う。

 

まず、一般的に人が

「この人は知性が高い」と感じる前提条件として、

 

「知識がたくさんある」という要素が真っ先に思い浮かぶと思う。

 

「アカビジ」の初期の記事でも
述べているが、

 

「情報は川のように

基本的に高いところから低いところへ流れていく」ものだ。

 

だから、

第1条件として、どんなジャンルの領域であれ

「知識」が少ないよりは多くもっているに越したことはないといえるだろう。

 

だが、

「知識」は知性の必要条件ではあるが

ただたくさんあれば「知性」を感じさせるのに十分だという性質のものでもないように思う。

 

世の中では
かなり「知識」が豊富にある人の発話でも

相手からあまり知性的とは捉えられずに

「いたずらに知識をひけらかしやがって…」

 

などと言われたり(思われたり)

 

「雑学」「ウンチク」と軽く片付けられて、

 

あまり重要に扱われないというケースが多いのも事実だ。
(もちろん雑学、ウンチクが重要に扱われる文脈もあるが…)

 

きっと、

自分自身が意気込んで知識を披露しても

思いのほか周りにウケなかったという
苦い経験をした方もいれば、

 

他人がそういった状況に陥るシーンに頻繁に出喰わすという方も多いだろう。


人はどうゆうわけか

 

同じように豊富な知識をもった人間の発話であったとしても

 

「この人は知性があるな」

いや、

「こいつは雑学ばかりだ」とか

 

瞬時に分けて、

しかもかなりシビアにジャッジしてしまうものだ。

 

なぜ「知識」は、

 

「知性」に感じることもあれば、

「雑学」と軽んじられることもあるのだろうか?


私自身の過去を振り返り、

 

日常の他愛ない会話から

職場での会話、営業経験、ビジネスミーティング、交流会…

 

自分や他者のさまざまな経験から照らしてみると、

 

つまるところ、

 

話者が「自分のもっている知識が

相手の利益(重要性)に繋がるかどうか

どれぐらい敏感に意識しているか」で

 

この「知性的」と捉えられるか

「雑学、ウンチク系」と捉えられるかが、

くっきり分かれると思う。


まとめると

 

「知識がたくさんある」というのは間違いなく、コミュニケーション上で有利な条件になるのだが、

 

それだけでは「知性」を感じさせるに不十分である。

 

豊富な知識という前提のうえに

 

「相手の価値観や背景を読み取って

いかに重要度の高い知識のストックを引き出
せるか」

という要素が加わることで

 

「知性」を感じさせる決定打になると思う。


次回は、

 

この「知性」を感じさせる効果的な戦略として

 

齋藤孝氏が重視している「文脈」というコンセプトを意識してみることを提案したい。

 

 

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https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416