【アカビジ】マクロコミュニケーション通信

アカデミックとビジネスの両立を目指す、強くありたい人財を応援するマクロコミュニケーション通信

「アカビジ」な解釈【「チョッカン」のイメージ】


こんにちわ。


ヒューマンキュレーターの松下です。

だいぶ気温も上がり、


東京の桜は見頃を迎えてますね^^

 

人材エージェントとして、
日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと、


また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで、


気付いたことをシェアできればと思い、
ブログ発信してます〜。

 

ここから本題↓↓

 

本日は、日常で使われる言葉
を「アカビジ視点」から再解釈する。

 

今回は
「チョッカン」について。


ビジネスやスピリチュアルに通じてる方で、

 

「迷ったら自分は「チョッカン」を信じる!」

 

というような発言を好む方が結構多いと思うのだが、

 

この「チョッカン」を漢字で書くとき、
どんな漢字を使うだろうか?

 


恐らく、「直感」と書く人の方が多いのではないだろうか?

 

私も大学時代に影響を受けた

斎藤孝氏の話を聞くまで、

「直感」と書いていたクチである。

 

だが

斎藤氏の話では、

教養のある人ほど

 

「直感」より「直観」の方を好んで使う傾向があるので

意識して使うだけでも、それだけで格が上がる

というような話を聞いた。


そのあたりの細かいことは、

斎藤孝氏の著作『くんずほぐれつ』にも
述べられている。

『くんずほぐれつ』斎藤孝 著↓
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167679385

 

氏の話では、

 

今の大学生に聞くと

大半の学生が迷わずに
「直感」と書く傾向にあるとのことだ。

 

私の肌感覚では

社会人も8割以上は、「直観」でなく「直感」を使っているように感じる。

 

「直感」も「直観」も辞書には掲載されているれっきとした言葉なので、 

 

ここではどちらが正しい日本語か
を議論したいわけではない。

 

ただ、人生の中で「直観」という字を目にすることが必ずあるにも関わらず

 

疑いなく「直感」を即答で思い浮かべて
しまう、という傾向に少し問題を感じる。

 

上述の斎藤孝氏も著作の中で語られていることと重なるのだが、

 

私もこの「チョッカン」に限らず

 

現代の社会自体に

感覚優位に陥りやすいバイアス(偏り)が

働いているのではないかと考えている。

 

※あくまで、感覚を否定しているのでなく
経験則や理性を働かせる視点もなくすべきではないという意味

 

下記に私が考える「直観」を選択するメリットを記載しておくが

私は日本語の先生ではないので、


正しいかどうかではなく、

ひとつの解釈と捉えて、活用できる方に使っていただきたい。

 

【「直感」<「直観」と捉えるメリット】

 

「直感」:
理性<感覚 優位の時代を象徴する表現である。

現代人は迷ったら感覚、センスを信じやすい。

そうすること自体が全面的にダメというわけではないが

 

ややもすれば、

困難なときはいつでも感覚で片付けて、それ以上、推し進めて考えない癖がつく。

(思考停止しやすい)

 

「直観」:
上記の感覚を使うことに加えて、

今までの経験や理性的な視点での判断も一斉に働かせて、綜合的に観ること。

 

(感覚か理性のどちらかが大事なのでなく、同時に働かせるというのがポイント)


「直感」だけで考えると、生まれ持ったセンスみたいなもので、育てようがない感じがある。

 

この概念しかもっていないと
磨いたり、 向上しようと思いにくく

何でも感覚で済ませて逃げる、刹那的に判断する癖がつく。

 

だから、「直感」を「直観」と意識し始めることで、

「自分の能力として、

着実に磨いていけるイメージがもてる

というのが、

 

「アカビジ」的な「チョッカン」の解釈である。


ブログ著者プロフィールはこちら↓
https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416