【アカビジ】マクロコミュニケーション通信

アカデミックとビジネスの両立を目指す、強くありたい人財を応援するマクロコミュニケーション通信

文脈効果を高める基礎①【「待つ」に偏ると】


こんにちわ。

 


ヒューマンキュレーターの松下です。

 


ゴールデンウィーク明けで、

仕事も再始動の時期ですねぇ。

 


休みボケになりやすい頃ですが

動けるところで

一気にエンジンかけていきましょう^_^

 


このブログでは著者が

人材エージェントとして、

日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

 


人や自分自身のこと、

また、世の中と向き合う機会が多いので

 


そのなかで

 


気付いたことをシェアできればと思い、

不定期に更新しています。

 


ここから本題↓↓

 


前回、コミュニケーションにおいては

 


[文脈=会話の流れ、タイミング]に合わせて

 


効果の高い発話ができることが

 


仕事やプライベートなど、

あらゆる場面で

 


極めて評価されやすい条件になる、

ということを伝えた。

 


特に刻々と変化を迫られ、

 


時間のもつ重要性が高まっている

現代のビジネスシーンにおいては

 


「文脈効果を高めた発話ができるかどうか」

が生き残りを決める重要なポイントになる。

 

 

 

ビジネスにおいては特に

 


「この人と話していてもためにならない」

 


という評価が、一度下されれば、

 


そこからひっくり返して

やりとりを続けるのは至難のわざだ。

 

 

 

今回は具体的に 

 


これほどにコミュニケーション

において重要な「文脈効果」を

高めていくための基礎的な技について紹介したい。

 


【文脈で使う基礎は「待つ」と「出す」というシンプルな技のみ】

 


文脈効果を高める

基礎の技は大きくわけて2つだと思う。

 


「待つ」ことと「出す」こと。

 


「待つ」というのは、

 


「文脈の中で、自分の発話が最大限効果が出せるタイミングを読み、待てるスキル」

 


「出す」は

 


「上記のタイミングが訪れた時に

自分の発話が最大限相手に効果的に伝わるように表現を選択できるスキル」

 


人間、成人していくと

「待つ」と「出す」のどちらもできないという話者はなかなかいないもので

 


大半の場合は、

 


「待つ」か「出す」のどちらかに偏ってしまうものだ。

 


まず、「待つばかりで、なかなか出さない」という人がいる。

 


例えば、

 


映画の作品なんかの話題が出ている時、

 


その作品を自分が見たことがあったり、

 


あるいは

その作者の別の作品なら見たことがある

ということがある。

(映画に限らずいろいろな話題で起こりうる)

 


このような際、

明らかに、その作品について自分なりの観点や感想を少しは言及できた方が

 


その場の会話を盛り上がることに一役買えることになる。

 


これがプライベートな付き合いの間柄だったりすると

大抵の方はできているはず。

 


だが、

 


会社の上司との会話、

取引先での会話や会議の発言、

はじめて知り合う者同士が繋がる交流会など

 


「パブリックな場」になると

途端に、かなり差が出てくる。

 


そして、

 


実際に多くの場合、人が悩んだり、

伸ばしたいと思っているのは、

 


プライベートな友人関係における文脈というよ

(むしろ友人関係でだけは、普通に話せるという人が多いものだ)、

 


「パブリックな場」で「コミュニケーション力」を発揮できるかどうか、であると思う。

 


自分が慣れ親しんだ同僚や

友人付き合い以外の場では、

 


途端に「待つ」ばかりを選択し、

「出す」タイミングを逃してしまう。

 


映画の話題が始まって

だいぶ時間がたってから

 


「この映画見たことあるの!?」

 


と、直接聞かれてはじめて

 


「はい、実はこの映画見たことあるんですよね。。」

 


などと今更に「出す」という具合だ。

 


会話の参加者からすれば、

 


「じゃあ先に話に出してくれよ!そのことが聞きたかったのに」

 


とツッコミたくなるだろう。

 


このように、

 


ある程度「パブリックな場」になると

 


「出す」を選択できなくなる人がいたりする。

 


ここで「出さない」人の立場にたってみると、

 


「出る杭は打たれる」という言葉に代表されるとおり

 


「あまり発言し過ぎると叩かれる」という日本の世間の風習に適応しようとしたがゆえ

 


という、側面があると思う。

 


よく言えば謙虚な姿勢なので

極端に嫌われるということは

少ないかもしれないが、何事にも度があるだろう。

 


会話の参加者からすれば、

 


「会話に積極的に参加する気がないのか…」というネガティブな印象は残るし、

 


事実、場を活性化することができていない。

 


この姿勢では、聴く側に徹することができても

場を活性化していくような

 


「攻めのコミュニケーション力」を磨く経験が乏しくなっていくだろう。

 


このような「待つ」に偏りやすい人材は

 


世間における敵はつくりづらいので

ラクに生きられるというメリットもあるが

 


「こいつがいなければはじまらない」

というような、

 


「替えの利かない人財」にはなりづらい。

 


こういったタイプの人材は、

 


「嫌われることは少なくとも会話における貢献度は低い」

 


のだという自覚をもつことで

 


「チャンスさえあれば出す」選択肢を増やす勇気をもって

日常から練習していってほしいと思う。

 


一方で、「待つことができず、出すばかり」

というケースもある。

(こちらの方が世間的には害と見なされやすい)

 


次回はそちらのケースにフォーカスを当てていきたい。

 


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