【アカビジ】マクロコミュニケーション通信

アカデミックとビジネスの両立を目指す、強くありたい人財を応援するマクロコミュニケーション通信

「アカビジ」な解釈【「コミュニケーション力」とは①】

こんばんわ。


ヒューマンキュレーターの松下です。

人材エージェントとして、


日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと、


また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで、


気付いたことをシェアできればと思い、
ブログ発信してます〜。

 

ここから本題↓↓

 

本日も前回に続き、

 

日常で使われるありふれた言葉

を「アカビジ視点」から捉え直してみようと思う。

 

今回は、

 

非常によく使われる
「コミュニケーション力」という言葉について。

 

「コミュ力」「コミュ障」などと略語が出回っているとおり

 

「コミュニケーション力」が今の世の中で重要視されている。

 

私自身がこの言葉は重要視しており

 

転職支援などで人と会う際、

 

「コミュニケーション力」に主眼を置いた助言をすることが多いし、

 

私自身に対しても含め、

 

社会人が「コミュニケーション力」を向上させていく文化の到来を願っている。

 

だが、

 

そもそも人に「コミュニケーション力とは何か?」と尋ねても

 

意外と曖昧に了解されている場合が多い。

 

まず、

そこのところの定義を明確にしない限り、

 

「コミュニケーション力」の向上も見込めないのではないかという直観から記事を書かせていただく。

 

「コミュニケーション力」は

一度、調べ出すと分かるが

かなり多義的な答えがかえってくる用語である。

 

凄腕の営業マンや

明石家さんまさんのような芸能人を例に挙げたり、

 

結果論として

「こうゆう人はコミュニケーション力が高い」と示したりするのは簡単だが、

 

「コミュニケーション力が高い」と言われる人全てに共通する定義はあるのだろうか?

 

これを考えてみたい。


ウィキペディアを調べてみると、

 

コミュニケーションはラテン語: communicatioに由来しており、「分かち合うこと」を意味している。「コミュニケーション能力」という表現は様々な用いられ方をしており、以下のような意味で使われることが多い。
* 言語による意志疎通能力(#言語学用語の「Communicative competence」を参照)。「コミュニケーション能力」という言葉は、元々は言語学の分野で用いられた学術的な用語であった。
* 感情を互いに理解しあい、意味を互いに理解しあう能力。感情面に気を配って、意味をわかちあい、信頼関係を築いてゆく能力。[1]
* 非言語的な要素(相手の表情、眼の動き、沈黙、場の空気など)に十分に注意を払うことで、相手の気持ちを推察する能力(非言語コミュニケーション)
* 上記の非言語的な要素により知った相手の気持ちを尊重して、相手に不快感を与えないタイミングや表現で、自分の感情や意思を相手に伝える能力
* 意思疎通、協調性、自己表現能力(厚生労働省による就職基礎能力の定義[2])
* 社会技能(ソーシャルスキル)。暗黙知
* 上手にコミュニケーションを行うための体系づけられた知識、技術(コミュニケーションスキル)
* 合意(コンセンサス)形成能力
* 「論理的コミュニケーション能力」(自己の考えを論理的に明確に、相手に表現する能力)
* 会話のキャッチボールを上手く行える能力
* 企業が求人広告等で応募者に要求している「コミュニケーション能力」は、ビジネスシーンにおいて発揮が期待される精選された「折衝能力」「交渉能力」「説得能力」を指しており、必ずしも対人コミュニケーション一般を円滑におこなうスキルをもって満足するものではない

 

というように、

 

「コミュニケーション力」は

 

深く読み進めていくほどどんどん定義が増えてくるというタイプの言葉のようだ。


上記に記載されているどの定義も

経験上に照らしても、正解だと思っている。


だが、

 

「アカビジ」としては

 

こういった辞書的な意味の正確さを求める羅列というより

 

上記のどんなケースにも適合するような本質」
=「真芯を捉えていて、かつ、スッキリとしたシンプルな定義」を追求してみたい。

 

実際に

周りで「コミュニケーション力が高い」とはどんなイメージか聞いてみると

 

「話が流暢に話せる人」
「交渉や営業で結果を出せる人」
「バラエティ番組などで司会進行ができる人」
「話を聴くのが上手い人」
「質問上手」

のように

 

やはり、総じて「会話のやりとりに強い人」
というイメージがポピュラーなようだ。

 

一方、会話だけでなく

古来からある紙媒体から、

 

今の時代ではメールやLINEなどのSNSを介した
「文字を介したコミュニケーション力」も考慮にいれる必要があるだろう。


また、私の大学時代に斎藤孝氏は、

 

「世の中には
仮にたいした発言や質問ができないとしても

その場で交わされる会話の文脈を理解し、

 

適切な「間」で断るごとに

気持ちよく頷いてくれるだけで

その場を活性化してくれるような存在もいて

 

それだけで、十分必要とされることがある」

 

とし、

 

「非言語」を使った「コミュニケーション力」の達人も存在すると仰っていた。

 

実際、

異文化同士で

 

「言語の通じない間柄」でも
ジェスチャー(身振り手振り)を介したり

 

言語自体を使うことが困難な障害の方が
コミュニケーション上手になれたり

 

まだ、言葉を覚え出す前の赤ちゃんのように

笑顔や泣くことによって

 

感情を伝えてコミュニケーションが成立するケースもあるだろう。


上記に挙げたようなものは共通して

 

ウィキペディアではじめに定義されていた

「分かち合うこと」や
「意思疎通能力」といえるかもしれない。

 

「community(コミュニティ、共同体)」

のように

英語のcomという接頭辞が「共同や共有、分かち合う」ことを意味するので、

 

もともとの「コミュニケーション」という言葉はこの「分かち合うこと」や「意思疎通能力」のような定義で片付けられたと思うし、

 

今でも中心的な使い方であると思う。

 

ただ、

言語というのは、

「キュレーター」のような言葉が博物館か
ら、

WEBや他の世界まで拡がったように

その使用されている文化や、時代背景によって

適用される範囲が拡がったり(縮まったり)する

という側面がある。


現代の日本語における「コミュニケーション力」とは、 

 

もともとの英語における
「communication(コミュニケーション)」がもっていた「分かち合うこと」や「意思疎通能力」

以上の意味を含むようになったと、

 

私は考えている。

 

次回は、従来的な定義に変わる「アカビジ」的な「コミュニケーション力」について示唆したい。

 

 

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