【アカビジ】マクロコミュニケーション通信

アカデミックとビジネスの両立を目指す、強くありたい人財を応援するマクロコミュニケーション通信

【アカデミックの効用②】なぜ あらゆるジャンルのなかで、特にアカデミックが優位なのか?=会話の大半の文脈でスタンダードがわかり、相手を楽しませることができるから。

こんにちわ。


ヒューマンキュレーターの松下です。

 

人材エージェントとして、
日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと
また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで
気付いたことをシェアできればと思い、
ブログを更新しています〜。

 

ここから本題↓↓

 

引き続き、「アカデミックの効用」について。

 

①の最後に述べたとおり、
営業マン(サラリーマンやビジネスマン全般の一例として)は、

 

時事ネタや地域のグルメに詳しかったり
引き出しが多いほど
相手との接点をつくるのに活かせたり

相手に利益(重要性)のある情報を
提供できるので

 

一般的に「知に長けた人材」は重用される。


「情報は川のように、上から下に流れる」のが基本だ。

 

単純に言えば、人は普通
「知の少ない者」より「知の多い者」と付き合いたいし、対価を支払う。

(その方が、自分の利益(重要性)になると経験的に判断するため)

 

だから、営業マンとして(それ以外の職種でも)
相手に
「仕事に繋がるような話を聞いてもらう」状態を創るには、

仕事の話をする前の段階で
情報的に価値の高い人間
(=話を聞く価値があると思わせる存在)になる必要がある。

 

だから、アカデミックな領域に限らず
地理、レストラン、流行りの音楽、ファッション…

どんな知識であっても
引用できる情報のストックは多いに越したことがない。

 

だが、一つここで問題がある。

 

それは、知識を得るには少なからず
時間やお金(書籍代など必要経費)のコストがかかるので、

この世の全ての知識を1人の人間が学び尽くすことは不可能だということだ。

むしろ、現代では、

そういった「データベースとしての知」は
コンピュータが無限大にストックしてくれるので
人材として今、一目置かれるのは別の種の知であろう。

 

情報が洪水のように流れてくる世の中で

今抱えている文脈のなかで

必要な情報がどこのジャンルに属しているのか、
そのジャンルでは何がスタンダードとされていて、
逆に何が奇抜なものに属するのか。

こういったことを見極めて
必要な方向性を決められるような「水先案内役としての知」こそが

今、あらゆる業界で期待されるものではないかと年々強く感じている。

 

そして、その「水先案内人としての知」を
効果的に発揮するのは

アカデミックな領域を使いこなせる人財(あえて材でなく宝とする)だと考えている。

 

ここで「アカデミックとはどういうことか」が分かりづらい方もいると思うが、

 

私は大学時代に受講していた教職課程で
斎藤孝氏が語られていた定義を取り入れている。

 

彼の伝えていたアカデミックとは、

 「人類が獲得してきた知の中で、
一流とされるようなスタンダードを知っている」ことである。

 

斎藤孝氏は、『声に出して読みたい日本語』で世に名を広めた教育者であり、
このブログで提唱している「アカビジ」という概念は、
当時、斎藤孝氏から学んだことをベースに、
私の社会での実体験を付加して生まれたものなので
今後も度々、斎藤孝氏のことを紹介させていただく予定。

 

例えば、 

音楽というジャンルのスタンダードでいえば、
クラシックの中でモーツァルトやバッハといった大御所ぐらいは

そのテイストの好き嫌いに関係なく
どんな音楽かぐらいは知っている方がいいと思うし

ビートルズにどんな曲があるかを
全く知らずにロック好きを通すのも難しい(と私は思う)。

 

例えば
たまたま、歴史好きな方が顧客である場合に

いくら相手の営業マンが流暢に話せて、実学的な知識に精通していても 
幕末で吉田松陰坂本龍馬がどんなことを成し遂げたか(一般的に言われているか)を
全くわからないというような
営業マンから喜んで買い物をしたいだろうか?
(流石に、少しシラケやしないかと思うのは私だけだろうか?)


上記では分かりやすく、

スタンダード中のスタンダードな知

という例を出しているので馬鹿げているようだが、

 

要は、
どんなことを大事にしているか分からない相手が顧客になりうる以上、

 

ある程度、時事や流行に長けているというのも必要だが

 

それ以上に応用の効く

100年から1000年以上の単位で人類が紡いできたような

 

哲学、科学、歴史、心理学、芸術といった学問や叡智に触れて

各ジャンルのスタンダードな知=アカデミックに長けていた方が

有利に人と接点を見つけられるし

 相手を楽しませることもできるので、

 

ビジネスでも
(それ以外でただ人と仲良くなるうえでも)
結果を出しやすいはずだ、

 

というのが今回の話。

 

次回は、

「今の時代では、なおさらアカデミックであれば、他者より目立つ」という側面から

 

引き続き「アカデミックの効用」について伝えていく。

 

ブログ著者プロフィールはこちら↓

https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

 

【アカデミックの効用①】アカデミックがなぜ、実学で生きるのか? =あらゆる相手に利益(重要性)を感じさせる可能性が高いから

こんにちわ。
ヒューマンキュレーターの松下です。

 

人材エージェントとして、
日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

 

人や自分自身のこと、
また、世の中と向き合う機会が多いので

 

そのなかで、
気付いたことをシェアできればと思い、
ブログを更新しています。

 

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前回のブログで、

この「アカビジ」という生き方を提案してから
いくらか反応をいただいた。

 

その中で
予想していたことではあったが、

 

目の前の仕事に集中しているサラリーマンや

特にビジネスに精力的に取り組まれている方にとって

 

アカデミックであることが
どのように実学に生かせるのかが見えづらいという声があった。

 

なので、

今回は私の営業経験や世の中で語られていることを踏まえて

「アカデミックであることの効用」の一端を
示せればと思う。

 

まず、人は[利益=重要性]で動く生き物である。

 

これは既にビジネスで活躍されている方には

釈迦に説法の話になるので恐縮だが、

 

人間というのは、とても自分の利益に
敏感なもので

買い物をするのにも

人は自分の得になると感じられる(=支払う以上の価値がある)ものや体験にお金を支払う。

 

そして実は、
付き合う相手を選ぶのにも

 

損か、得か

というのをシビアに判断していると思う。

 

こういうと、

「そんなことはない、人付き合いは損得だけでは割り切れない」

という声が聞こえてきそうだ。


実際、私自身も人間関係のなかでは、
モノやサービスを選ぶとき以上に

 

[単純な意味での損得]では割り切れない高度な判断が働いているものだと思っている。

 

損得や利益という言葉を使うと、

 

どうしても、「お金」や「得票を得る(モテるなど)」だけが先行して思い浮かぶ人が多い。(この思考停止の傾向に対して、私は社会的洗脳が起因していると感じている)

 

これらのお金や得票のような限られた利益とは、

 

あくまで多くの人間にとってあてはまりやすい最大公約数にあたるだけであって

 

実際には人間はもっと多様な(無限に近い)利益(重要性)によって

モノや体験、それ以上に、
付き合う人をも選択している。

 

では、お金や得票以外で
人によってどんな利益(重要性)がありうるのか。

 

もちろん、たくさんある。

 

そもそも、

ビジネスや投資で大成功した余裕のある人間に限らず、

お金はそこそこ満足しているのに

それ以外の繋がりや教養を人に求めているという人はけっこういる。
(そう感じない方は、もしかしたら付き合う人の幅が若すぎたり、狭いのかもしれない)

 

一般的に考えてみても

モノや体験に対する価値観に関して限っても

音楽、スポーツ、恋愛といった多数の公約数をとりやすい領域から

 

映画、アニメ、ゲーム、写真、アート、歴史、科学、昆虫採集…など、ニッチと言われる領域があったり、

 

SNSをはじめとしたコミュニティの活発化に伴い、

 

繋がりや尊厳、共感といった、抽象的な領域に利益を感じる傾向は年々、高まっており、

 

それこそ、
きりがなく、利益(重要性)は無限に存在していると言える。

 

そして、付き合う人間を選ぶ際には、
人が感じる利益(重要性)はさらに複雑化し、

上記に挙げたような価値観のなかで

 

自分と相手が同じものをもったタイプだから付き合いやすいと判断する場合もあれば、

 

逆に自分になかった、全く新しい価値観をもっているから付き合う

といった2面性が出てくる。


このように考えると、

現代人は、
お金や得票といった限られた意味での利益(重要性)をあまりに大きく捉えすぎていて

 

そのせいで、
ほかの繊細な利益(重要性)が見えづらくなっている(鈍感になっている)といえる。

 

だが、実際には
人間が利益(重要性)と感じることの可能性に

無限とも思えるほど拡がりがあるのは、

少し考えると当たり前に分かることである。


絶対に
全ての人が必ずこれさえ提供すれば喜ぶという唯一無二の答えがない以上、

 

多様な選択肢の中から、

「相手がどこに利益(重要性)を感じているか読み取り、それを素早く提供できる」ことができる者が「ビジネスにおける強者」
(具体的に言えば売れる営業マンなど)

と言えるだろう。


一般的にみても


営業マンは、
アカデミックな領域に限らず

 

新聞やインターネットなどで時事のネタを常に仕入れていたり、

美味しいグルメ情報や、土地勘がある方が有利といわれている。

 

それは相手の価値観に合わせて、
話題を変えられたり、
知りたい情報をピンポイントで伝えられる、

突き詰めて言えば、

「相手に利益(重要性)を感じさせられる(=心地良さを感じさせられる」ことによって

ほかの営業マンより付き合うに値すると
選ばれる存在になるからだろう。

これはあまり異論がないと思う。

 

そして、この考えを推し進めて

私がさまざまな体験や知見を経て
得た直観を加えると、

 

「多様化していく価値観をもちうる相手に対して、

相手の利益を幅広い選択の中から短期間で読み取り、

最も効率よく安定的に提供し続けられる可能性が高い」のがアカデミックな領域に長けている人材なのである。

 

次回の記事では、

アカデミックな領域を使いこなせる人材が、そうでない人材より、なぜ有利なのかを

具体例を挙げながら、伝えていきたい。

 

ブログ著者プロフィールはこちら↓
https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

「アカビジ」な生き方のすすめ

こんにちわ。
ヒューマンキュレーターの松下です。

 

人材エージェントとして、
日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

 

人や自分自身のこと、
また、世の中と向き合う機会が多いので

 

そのなかで、
気付いたことをシェアできればと思い、
ブログを更新しています。

 

ここから本題↓↓

 

日々溢れかえる情報を
取捨選択して生きなければならない現代日本において

リベラルアーツ(知性・教養)のような「アカデミック」と呼ばれる領域と

ビジネスのように「実学」と呼ばれる領域の

どちらかには精通している人間は多い。

 

だが、
「アカデミック」と「実学」の両方の領域を、
そこそこにこなせる
という大人は、案外に少ないと感じることが多い。


例えば

ビジネスマンであれば
ビジネスだけを学んで語り(ビジネスに関係ないことは学ばなくていい)

研究職はアカデミックに長けていても、経済には疎くていい
といった態度が蔓延しており

まるで「文系」「理系」のように
ステレオタイプに人間を割り切る雰囲気が浸透しているように思う。

だが、

私が転職支援に携わり
実際に日々多くの人と出会うなかでは

「理系」「文系」のように
そう単純に割り切れないところにこそ

人間らしさや、[印象に残る部分=魅力]が宿るものと感じることがよくある。


自分自身、実際に携わった営業経験や
ビジネスミーティングの場でさえ
ビジネス書やビジネスシーンで直に得たもの以上に、

過去に教職課程で学んだことや
日頃読書などで取り入れるリベラルアーツ
(一見、ビジネスとは関わりのないように思える歴史、科学、心理学etc…のような知性・教養とされる知) こそが、
その他のビジネスマンとの競争に生き残るうえで
思いのほか役に立ったという経験があり、


仕事・プライベートともに
味方(ファン)を創り

日々を豊かに生きるうえで、
アカデミックな領域を活かすことこそが
有利な武器になると確信している。


とはいえ、

この世は生きていく以上
経済活動からは逃れられないという性質をもったゲームでもあり

このゲームを生きるうえで
仕事や実業に関するスキルを全く磨かないというのも
ナンセンスな選択である。


誰でも通常、大人になれば
目の前の仕事をこなすスキルを向上させたり

自分の関わる実業の領域を学ぶのは当然必要なことで
おおいにその研鑽に励むべきである。

 

だが、
そこにばかりかまけてリベラルアーツ(知性・教養)のような
人類が数千年かけて学んできた叡智と
繋がりをもつという意識が希薄になってしまうと、

人間としての幅は狭くなり
その人特有の魅力は損なわれていくと感じる。

今風に言えば、
AIでも代替できる存在の筆頭になってしまうだろう。


ビジネスマンの文脈に限ってみても、
実業だけを追いかけ続ける人というのは

皮肉なことに

結果的に実業においても
一定の幅の層からしか信頼は得られないので
(=一定の幅のファンしか創れないので)

長い視点から見れば
パフォーマンスが良いとは評価できないのではないだろうか。


例えば、あなたが
不動産業界の営業マンをやっているとして、

当然ながら
不動産業界に関わる知識や営業マンとして
必要な対人コミュニケーションスキルを最低限学ぶ必要がある。

だが、これだけでは
多くの営業マンが既にこなしていることをしているだけなので

数多の営業マンがしのぎを削る世界で
「人間個人として目立つ」ことは難しい。


極端に言えば、
少しでも長くその業界にいることや
扱っている不動産の条件で、差別化するしかなくなってしまうので
営業経験が浅いうちほど、特に厳しい闘いを続けることになる。

だが、
営業経験も、業界知識も浅い若手の営業マンであったとしても

歴史や科学に見識があることがコメントににじみ出ている、
いちいち教養を感じさせるリアクション、ジョークをいれられる、

といった
実業に一見関係のない文脈では
その他大勢と
差をつけるチャンスが多々、存在する。


そもそも、営業上の会話であっても
全ての話題が実業に関わるものになるということは稀で、

むしろ会話を構成する大半の話題は
他愛のない雑談からはじまっていたり、
業界外の小ネタが絶えず行き交う形になるはずだ。

営業経験がある人なら分かるだろうが、

実業の話題を話すスキル以上に
「実業の話題に聞く耳をもってもらう」までのハードルが最も高いはず。

お客側の視点に立ってみると、
全く業界に関係がないと思われる枠外の分野について聞いても

断る毎に気の利いたコメントが出てくる
ということの積み重ねによって、

「この営業マンは、経験が浅くとも、
頼りになりそうだな、おもしろいやつだ」

と思ったりするものだ。


ビジネスをされている方でも
或いは
プライベートで目立ちたいという方でも

ありふれたその他大勢から抜け出し
日常を精神的な余裕をもって、より豊かに生きるための
ちょっとしたコツとして

リベラルアーツ(知性、教養)+ビジネス(実学)の融合

=アカデミックビジネススタイル

という視点を
日常に取り入れてみることを提案したい。

 

長くなってしまったが、

このブログでは、要するに
私の日頃の出会いや出来事、偉人の著書など、
さまざまなテキストをヒントに取り入れ

アカデミックビジネススタイル
略して「アカビジ」な生き方がどんなものなのか

また、その視点があるとどんなメリットがあるのかを明らかにしていきながら、

仕事、家庭、恋愛、友人…etc
それぞれの関係性のなかで揉まれ、

日々を生きていかなければならない皆さんにとって、
少しでも勝ち目を感じながら闘い続けてもらうための一助になれればと願い
不定期に(なるべくマメに)発信していくつもりである。

 

ブログ著者プロフィールはこちら↓

https://human-curator-p.hatenablog.com/entry/2018/03/08/075416

 

初めまして【著者プロフィール】

はじめまして。
ヒューマンキュレーターの松下です。

人材エージェントとして、
日々多くのサラリーマンや事業者と出会うなか

人や自分自身のこと
また、世の中と向き合う機会が多いので

そのなかで、気付いたことをシェアできればと思い
ブログをはじめました〜。

お時間ある時見てください〜。

【ブログ著者プロフィール】
ヒューマンキュレーター
松下 裕太朗

人材エージェントとして、転職支援に携わることで
多くのサラリーマン、事業家と出会い続けてきた実業経験に加え

学生時代の教職課程での体験や
日々の読書で会得してきたリベラルアーツ(知性、教養)を組み入れ、

【人財キュレーター(ヒューマンキュレーター)】として独自の立ち位置を見出すに至る。


中心的な活動として、
「お金やビジネスの枠のみにとどまらず、

人生そのものを、知性をもってアートしていく生き方」

=【アカデミックビジネススタイル】

略して、「アカビジ」な生き方を提唱している。

現代社会を生きる個人が、
今より質の高いパフォーマンスを発揮して

それぞれに抱える、目先の困難や課題を超えて
より多様性ある世界に目を向けられるようになり

各々の「豊かさ」を追求して生きていく為のヒントを
 「人材配置」 「脳科学 、心理学」 「エネルギー」 「知性、教養」といった
多ジャンルの知見から哲学し、キュレーションしていく。

 

このブログは、

 

アカデミックとビジネスの両立を目指す、

強くありたい人財を応援する「マクロコミュニケーション通信」である。

 

松下 裕太朗 フェイスブックアカウント
http://www.facebook.com/yutaro.matsushita